8月24日 災害の爪痕
17日の台風7号、21日の台風11号、23日の台風9号と立て続けにきた台風と前線の影響により砂川にも大きな災害が出ました。
20日朝6時に災害対策本部設置。同日13時までの1時間で53.5ミリメートルの豪雨により豊栄町内会付近浸水。豊沼奈江川の増水や石狩川の水位等の状況を鑑み14時17分豊沼地区避難勧告。豊沼奈江川は東1線付近で越水。
13時10分パンケ歌志内川の下吉野橋での水位が氾濫危険水位に達しており、こちらも上流の降雨等、周辺状況を総合的に勘案し14時43分に流域浸水地域に避難勧告しました。
パンケ歌志内川、柳通りから西2条に向かって
パンケ歌志内川、下吉野橋付近(宮下町内会)
豊栄地区は道路が冠水し、床上床下浸水の被害が出ました
増水した豊沼奈江川。右に写っている堤防まで水が迫っています
昭和56年以来、35年ぶりの避難勧告となった。パンケ歌志内川は川幅が狭くて上流からの距離も近く、一気に増水することから急を要した。周知方法は町内会長、広報車、ホームページ、街頭放送、FM中空知、携帯電話やスマホを通じて連絡されるエリアメール等。
また、災害対策現地情報連絡員(通称:リエゾン)として、はじめて札幌開発建設部河川工事課の職員4名の派遣を受けた。
パンケ歌志内川が氾濫しなかった要因は、昭和56年の洪水以降、堤防の整備を行い、上流に河川トンネル(パンケ歌志内川の水が一定以上増水するとオーバーフローした水は河川トンネルを通ってペンケ歌志内川に流れる)工事を行ったことと砂川遊水地の完成によりパンケ歌志内川の水がノンストップで遊水地に流れたことが要因。(昭和56年当時、パンケ歌志内川は石狩川と直結していて、石狩川の水位が上昇するとパンケ歌志内川の流入が遮られ水位が下がらなかった。)
このように砂川遊水地は石狩川の氾濫防止と砂川市内の内水の氾濫防止に効果がありました。
豊沼奈江川の東1線付近で越水した畑
東豊沼の東1線と南7号線付近。田畑や道路も冠水しました。
前の写真の反対側、川のそばから撮影。
水が引いた後もぐちゃぐちゃでした。
宮城の沢では道路陥没
奈江豊平川の吉野3条南8丁目付近。築堤が崩れ川がえぐられました。
河川トンネル入口(パンケ歌志内川)
河川トンネル出口(ペンケ歌志内川)
22日6時に遊水地が平成7年に完成して以来、はじめて越流堤を超えて石狩川の水が遊水地に入ってきた。石狩川の上流の雨量と空知川の上流の雨量が同時に多かったことが原因です。23日深川市納内での石狩川氾濫は、石狩川に注ぎ込む美瑛川が氾濫を起こすほどの増水によるものですが、22日よりも深川の石狩川の水位が高かったにも関わらず砂川では遊水地に水が入らなかった。
このことは、砂川での影響を考えると空知川の水量のほうが大きく影響を及ぼすものと考えられ、空知川上流にある滝里ダムの貯水効果が石狩川の急激な水位上昇を抑えるのに効果があったものと思われます。
石狩川から砂川遊水地の越流堤に水がヒタヒタと迫っています
災害対策本部に派遣していただいた開発局職員(写真手前、青いベスト着用)。開発局からの情報提供、連絡調整やポンプ車の手配などたいへん助かりました。
21日19時頃文珠砂川線の焼山地区でがけ崩れ発生。私自身現場をこの目で見てきたが、トップが直に現場を見ることは避難指示を出すことを想定すれば必要であると感じた。道警の災害担当の方も同じことを言っていた。
長期間の雨が降っていたことから、宮城の沢など土砂災害特別警戒区域に指定されている個所には細心の注意を払って対処した。
道道文珠砂川線。中央が土砂崩れ現場で2車線とも塞がれています。
土砂崩れ現場。片側をなんとか通れるだけ土砂を搬出
道道に隣接するサイクリングロード。ペンケ歌志内川の増水と土砂崩れによって陥没しました。
土砂崩れの恐れがある箇所に対策を行いました。
これらの貴重な経験とデータを基に、砂川市の水防対策(石狩川とパンケ歌志内川や豊沼奈江川との関係および石狩川に流入する他の河川による影響)を北海道開発局札幌開発建設部や北海道と協議したい。特に今回は豊沼奈江川の脆弱性が際立っていた。
災害対策にあたった職員、消防署、病院の他、町内会長、コカコーラボトリング株式会社、くるみ会、地域交流センターゆうなど多くの方の協力をいただいたことに感謝するとともにパトロール等で17日から23日まで長期間にわたり昼も夜も奮闘した、建設部長、土木課職員をねぎらいたいと思います。
私も市役所生活41年になるが、庁舎で3日目の朝を迎えたのは、はじめてのことでした。
今回の台風により被災された市民の皆様に心からお見舞いを申し上げますとともに、早急に対策にあたります。